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遠い世界に 母が天国に旅立った日 この歌きいて号泣

母が亡くなって3年になります。

12月23日が母の命日です。90歳でした。


自宅で転んでしまい、入院。
それから退院し老人保健施設へ。
またまた入院し、最期は病院で息を引きとりました。

母の葬儀の翌日は、父の命日でした。
まさに父がお迎えにきたんだ、と感じました。

お葬式の日までは、お通夜も含めて、親戚一同と過ごし、寂しさもまぎれいましたが、
妹とも別れ、それぞれの家族どうし帰路につきました。

お葬式の翌日、何気なく入った喫茶店に流れていた歌。
遠い世界に


流れているその歌を聞き、号泣してしまいました。

あぁ、今、母は今頃、天国に旅立っているんだ、となぜか泣けてきました。
その後、母のことを思い出しても、泣くことなく生きています。
その日だけ、号泣。

その昔、何気なく聞いていたこの曲。
音楽の教科書に載ってる歌、という感覚でした。

フォークソングだなぁ、ということで聞いていました。

遠い世界に旅に出ようか
雲の上を歩いてみようか

母の魂が雲の上、虹のかなたに旅立っているイメージが浮かんできたのです。

特に3番の歌詞がこたえました。

雲に隠れた 小さな星は
これが日本だ 私の国だ
若い力を体に感じて
みんなで歩こう 長い道だが

その日、その喫茶店に流れていた歌は昭和の歌でした。

森山良子さんの この広い野原いっぱい も流れてきました。

この歌は、父が亡くなった時に私が号泣した歌なのです。


歌っていたのは女性歌手。有線放送だったのか? 
その女性歌手が歌っていたのは、あの素晴らしい愛をもう一度、や、
チューリップの青春の影 。
南こうせつの 妹よ も流れてきました。

よく行く喫茶店ですが、昭和の歌が流れていたのは初めてのことでした。
なぜ、その日に限って? 偶然?

90歳まで生きた母。
あんなに長生きしてくれたのに・・・・
あっという間にいなくなってしまいました。

入院するまでは、杖を突きながらも懸命に歩き、
自分のことは自分で頑張って努力していました。
口数は少なかったけれど、自分をしっかり持っている人でした。
じっと目を見ながら、私たち子どもの話を聞いてくれる人でした。
自分で考える力を身につけさせてくれたのだ、と今になって思います。

母が入院してから、きょうだいで何度もお見舞いに行き、家族での時間を
たくさんくれたなぁ、と思います。

妹とは、すごく仲良くてしょっちゅう行動を共にしていましたが、
二人いる弟とはどちらもすっかり疎遠になっていましたが、
母を見舞った後は会食し、いろいろ話す機会ができました。
きょうだいっていいなぁ、としみじみ思ったり。

経済的にも大変だったけど、よく4人も生み育ててくれたと、しみじみ思う日々です。

みんなで歩こう 長い道だが
ひとつの道を力の限り


長い人生だけど、一生懸命 力の限り生きていきます。
きょうだい、力を合わせて。
母の面倒をずっと見てくれた独身の妹のことも、
「よろしくね」と母に言われた気がしたのでした。

妹がこれからの人生をともに生きる伴侶に巡り合えることを祈りつつ、
もちろん、まかせてね、と母に誓いました。
これからの人生、一生懸命力の限り、生きていきます。
しんどいことも多いけれど、母が寿命をまっとうしてみせてくれた生き方を
真似してみようと思いました。

母が亡くなってから、定期的にきょうだいで飲み会をすることになりました。

12月にも忘年会をする予定です。

母から生まれてきたことを感謝しながら、兄弟との時間も楽しみたいと思います。